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徳富蘇峰について

 徳富蘇峰が論壇にデビューした後に民友社を設立いたしました。
また、民友社の中には後に『不如帰』で著名になった徳富蘆花、
評論家、歴史家の山路愛山、歴史学者・思想史家の竹越與三郎、
小説家、詩人、ジャーナリストの国木田独歩等がおりました。
『国民之友』は、日本の近代化を推進め、政府が推進する「欧化主義」を批判いたし、
平民的急進主義を主張しました。
それに対して、
国粋保存主義を主張する哲学者、評論家の三宅雪嶺、地理学者、評論家の志賀重昂、
ジャーナリスト・評論家の陸羯南等が設立した政教社がありました。
その後、『国民之友』は、明治21年から明治22年において、大同団結運動支援の運動を展開しました。
また、社会主義思想の紹介をいたし、進歩的な役割を果たしました。

その傍らに、徳富蘇峰は民友社とは別に国民新聞社を設立して
『國民新聞』を創刊し、以後、明治・大正・昭和の3代
にわたってのオピニオンリーダーの役目を果たしました。

さらに、徳富蘇峰は、『国民叢書』、『家庭雑誌』、『国民之友英文之部』を発行致しました。
その当時の徳富蘇峰は利害対立と戦争を生じる「強迫ノ統合」ではなく、自愛主義と他者尊重と自由尋問
を基本としている「随意ノ結合」を説いておりました。

また、徳富蘇峰は、『國民新聞』発刊にあたって、『国民之友』誌上に「書を読む遊民」を発表しており、
地方青年に、実業教育を施して生産活動に参画せしむるべきことを主張しておりました。

 豊水

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