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徳富蘇峰について(3)

先だって、徳富蘇峰が同志社大学卒業を控えた前に辞めてしまいましたと記述しましたが、その理由を今回は書こうと思います。

熊本には、古城医学校というのがありまして、北里柴三郎はじめ緒方正規、唯一、農民の子の出である鹿央町出身の大久保真次郎らがおりました。この方々は、大変な俊才でのちには、東京医学校に進みましたが、その大久保真次郎が東京にい下宿していた折に、矢島楫子から(当時は女学校の教員をしており外の教員の給料が3円の頃、楫子は5円の高賃金を貰っておりました。)資金の援助を頂戴していた事で真次郎自体が、このままではいけないと決心を致し東京医学校を辞めてしまいました。その後、新島襄を頼りに同志社大学へと進むことになりました。この後に真次郎という人は、性格が別格の人なりで同志社大学の黒板に”足下の奴隷となるよりも娼婦を抱いて寝たほうがましだ”ど描いて同志社を辞めてしまいます、このことで大学紛争ととなり下級生である徳富蘇峰は同志社を辞めてしまいました。

 次回に続く 豊水

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