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細川藩の3つの恩義(宇野春風氏)

 前回の続き徳富蘇峰氏についてを記述しようと思いましたが、今回は、話をそれまして、今まで不思議に感じたことを記述します それは、戦国時代からの歴史を読んでいた時に、ふと考えた事がありました、どういうことかと申せば、鎌倉時代から室町時代、戦国時代、織田信長、豊臣秀吉、江戸時代、昭和時代、現代にかけて、細川藩が今でも現存続いているのは何故だろうと。

その答えは、後藤是山記念館の館長さんから教えてもらいました。

それには、細川氏には3つの恩義という事があり、第一には、秀吉の時代に 細川忠興公の時に、秀吉に讒言した者がいて、秀吉に誅せられんとした時に家康が細川氏は、そんな事がないと秀吉に罪を許された事の恩義。

 第二には、細川藩2代藩主 光尚公が、今で言う早死にをいたし、その子綱利公(3代藩主)が当時6歳であり、余りにも幼すぎるので後移封があるであろうと誰もが考えた時に、幕府は父祖の功という大義名分で大丈夫だと判断してくれた恩義。

 第三には、6代藩主重賢公の兄 宗考公(5代藩主)が江戸城にて 旗本 板倉勝該公には親戚の者に私怨があって、その人の家紋が同じ九曜紋であったので、宗考公を見誤って殺してしまいました、この時に抜きあいもせず討たれるということは、武士として面目もないことである、まして赤穂でさえも騒動ごとをしたんだから、肥後藩にも相当なお咎めがあると噂されましたが、結局は幕府はお咎め無しと判断してくれた恩義、これらの恩義により改易移封がなく無事現代まで続くことになったそうです。

 宇野春風氏は、これらの事に関しては(明治維新と肥後藩)の書物の中には詳細に記述してあるそうです。

 

                        豊水

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